長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした
「長崎景観クルス」好評です。
“長崎景観クルス”
長崎くんち
八坂町『川船』
クルス4枚入¥324 (税込)
148×100×20mm
ちょうどハガキサイズです。
平成29年奉納
高速回転の船につかまり、根曳きが豪快に宙を舞う!
八坂町 川船 やさかまち かわふね
長崎くんちで桟敷席が設けられるのは「諏訪神社」含めて4か所ですが、八坂町にとって「八坂神社」は、いわばホームグラウンドともいうべき踊り場。この場所では町の人たちのひときわ熱い声援を受けて、「川船」衆はみな舞い上がってついつい持ち時間オーバーとなってしまう、というウワサです。 (平成29年8月取材)
正式な町名としての八坂町は消滅していますが、今も八坂神社界隈の住民たちは踊町・八坂町の町民として「川船」に情熱を注いでいます。それまでの本踊に替えて初めて「川船」が奉納されたのは明治36年のこと。日露戦争が明治37年ですから、初奉納の頃は日本が軍国主義の道をひたすら突き進んでいく、そんな時期だったんだなあと。ちなみに船の台車は、陸軍から譲り受けた砲台車を利用しています。
市内(元船町 ゆめタウン夢彩都横)での迫力あるお稽古風景
子どもたちもくんちに向けて、お稽古頑張っています。
明治36年から今も受け継ぐ陸軍の砲台車は3輪。くんちで船の曳き物を奉納する踊町は数あれど、大半は4輪。しかも3輪で「小ぶりで軽量」となると八坂町だけ。つまり機動力があってスピードも出やすいのが八坂町の「川船」なんです。他の踊町の人たちでさえ「スピードだけはかなわない」と口にするほど。特に回転する船の舳先につかまってトップの根曳きが宙を舞うという大技は、八坂町ならではです。
根曳きが宙を舞う大技が生まれたのは昭和28年の奉納本番でのこと。「狭い踊り場で船の回転の軸がずれて砂被りのお客にぶつかりそうになって、根曳きがとっさにお客の頭の上をポーンと飛んだ。そしたらそれが受けてお客たちは拍手喝采。それで、これいいじゃないか、やろうよということになった」と嬉しそうに語る自治会長の酒井正演さん。船の回転を安定させるために回転軸となる右後輪に飛び乗るのも、根曳きのとっさの行動から生まれた技だそうです。
八坂町は前々回の奉納で宙を舞うトップに女性を採用して話題になりました。本番では歓喜の声で大盛り上がり。「特に40代50代の女性たちに受けてねえ。八坂さん、ようしてもらいましたと」。くんちに出たくても出られない地元の女性たちのうっぷんを一気にはらす出来事だったようです。何はともあれ「あれが最初で最後」だそうですが、他の踊町からは「八坂町はいつもなんかしでかす、と思われてます」と愉快そうに笑う酒井さんでした。
2017年長崎くんちより