長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした
「長崎景観クルス」好評です。
“長崎景観クルス”
長崎くんち
椛島町『太皷山』
クルス4枚入¥324 (税込)
148×100×20mm
ちょうどハガキサイズです。
平成30年取材
観客を巻き込んでコッコデショ!の大合唱
椛島町 太皷山 かばしままち コッコデショ
コッコデショ!コッコデショ!コッコデショ~!の掛け声と共に、天に向かって勢いよく放り投げられた山車が、太皷打ちの子どもたちもろとも宙に舞い、屈強な男たちがそれを片手ではっしと受け止める。これがうわさの演し物、椛島町の「太皷山」、通称“コッコデショ”です。(2018年6月取材)
担ぎ手たちが、重さ1トン以上もある太皷山を宙に放り投げ片手で受け止めます。
「太鼓山」の初奉納は寛政11(1799)年。当時、長崎と大阪・堺との間を行き来する上方の船乗りたちの定宿があったのが椛島町で、「太皷山」は彼らが伝えた関西のまつりの山車の影響を受けているといわれています。ただ、そのルーツの関西にも、空中に放って片手で受け止める荒技をやってのける太鼓山はどこにもないのです。
黄色い声のおっかけまで登場するという、うわさの“コッコデショ”。女性たちの熱い視線が注がれるそのたくましい担ぎ手たちは、書類選考および体力、腕力、気力などを試す厳しいオーディションを勝ち抜いた選ばれし者たち。ケガと隣り合わせのハードな演し物だけに妥協は許されないのです。
コッコデショ顔に
仕上がっていく男たち
当然マスコミの注目度も高いのですが、東京のテレビ局からはスポーツ担当記者が取材にやって来たそうで、稽古を見ていてもまさにスポ根ドラマの世界。太皷山総指揮者の山崎猛さん曰く「オーディションの時と比べると、えっ、お前誰?というくらいみんな顔つきが変わる。体つきも変わる。どんどん男前になっていく。コッコデショ顔に仕上がっていくんです」と。
今回椛島町は、原発事故で被災した福島県川内村から無償提供を受けた檜ひのきで太皷山を新調しました。市民有志でつくる太皷山応援団が復興采を送ったのがきっかけです。応援団は川内村関係者をくんちへ招待しているそうで、熱い男たちがさらに燃える平成最後の“コッコデショ”にどうぞご注目下さい。復興采を送ったのがきっかけで檜を送っていただく事になった!
9月半ばまで毎夜のように街頭で行われるハードな稽古。汗まみれの男たちが担ぐ太皷山から発散される熱気は相当なものです。
1時間以上も打ち続ける稽古にも耐えてきたつわものたち。太皷を打つ少年たちにもご注目を!