長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした

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長崎くんち

今博多町『本踊

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令和元年取材

くんちの原点にこだわって「本踊」一筋

今博多町 本踊 いまはかたまち ほんおどり


諏訪神社の秋の大祭・長崎くんちは、1634年に遊女の高尾と音羽が小舞を奉納したことに始まります。その遊女たちが住んでいたのが今博多町。博多からの移住者の町で、当時は遊郭があったそうです。以来、今博多町は一度も欠かすことなく一貫して「本踊」を奉納し続けてきた伝統の踊町です。令和元年7月取材)

くんちのルーツは今博多町にあり

華やかで、勇壮で、にぎやかで、そして異国情緒あふれる長崎くんち。鎖国時代、中国・オランダ貿易で財を成した長崎商人たちが、資金をつぎ込んで趣向を凝らした演し物を競い合ってきた歴史がありますが、その始まりは遊女2人の小舞奉納というごくささやかなものでした。今博多町はくんちの演し物が時代と共に移り変わっていくなか、その原点にこだわり続けて385年。今年も恒例の「本踊」を奉納します。

 

長崎市の元助役で長崎史談会顧問の宮川雅一さん(左)と畳店を営む自治会長の岡部栄一さん。宮川さんの生家は老舗の酒類・食料品店だったとか。
長崎市の元助役で長崎史談会顧問の宮川雅一さん(左)と畳店を営む自治会長の岡部栄一さん。宮川さんの生家は老舗の酒類・食料品店だったとか。

港から飛来した

6羽の美しい鶴を表現

長崎港は昔、その形の美しさから「鶴の港」と呼ばれていたそうです。今博多町「本踊」の演目はそれにちなんで長唄「今日爰祭祝鶴舞(きょうここにまつりをいわうつるのまい)」。6人の踊り子が諏訪神社の秋の大祭を祝いに長崎港から飛んで来る鶴を表現したもので、羽に見立てた衣装をはためかせ、しなやかに体を反らして舞い踊ります。花柳寿々初師匠の指導は「唄や囃子に合わせてただ踊るのではなく、自分自身が鶴になりきることが大切」と。

着付・化粧・かつらは

京都からプロを

「いやあ、私たちは踊りのことはよくわかりませんから、すべてお師匠さんにお任せしています」と言うのは自治会長・岡部栄一さん。「本踊」の場合、華やかな表舞台のことはプロに一任し、町の人たちは裏方に徹します。予算の管理も大変で「着物もですが、着付けも、化粧も、かつらもすべて京都からプロの方に来ていただくので、踊り手は6人まで。それ以上増やすと大変なことになりますから」と苦笑いです。

 

踊町であることは栄誉なことなのです

今はどこの踊町も世帯数の減少や少子化で、7年に1度の奉納も容易なことではありません。長崎市の元助役・宮川雅一さんも今博多町の自宅ビル1階をくんちの事務所として開放するなどバックアップ。「岡部ちゃん、お疲れ様。苦労はあるけど、やりがいがあるけん、よかっさい。なりたかゆうても、誰でもが踊町にはなれんとばい!」と後輩を励まします。これから稽古も本格化。そして10月7日、伝統の今博多町「本踊」がくんち奉納の口火を切ります。

 

令和元年の踊り子は師匠のお弟子さん5人に町内から素人1人。特訓で鍛え上げられて本番を目指します。
令和元年の踊り子は師匠のお弟子さん5人に町内から素人1人。特訓で鍛え上げられて本番を目指します。
3歳から12歳までの子どもたちが、本踊の合間で観客をほのぼのと和ませます。
3歳から12歳までの子どもたちが、本踊の合間で観客をほのぼのと和ませます。

花柳寿々初 師匠 /  「町をあげての奉納に」という師匠の思いから、毎回踊り子に加えて町内ゆかりの子どもたちも参加します。
花柳寿々初 師匠 / 「町をあげての奉納に」という師匠の思いから、毎回踊り子に加えて町内ゆかりの子どもたちも参加します。

今博多町に勤務する縁から素人でただ一人、師匠のお弟子さんたちに交じって鶴の踊りを舞う唐津真理子さん。「最初は不安でしたが、お稽古の積み重ねで少しずつ出来るようになると楽しくなってきて」と。


今博多町の古い地図を広げて。昔は通り沿いに鰻の寝床のような商店が軒を連ねていました。
今博多町の古い地図を広げて。昔は通り沿いに鰻の寝床のような商店が軒を連ねていました。
かなり昔の鶴の舞い。今にも舞い上がりそうな衣装です。
かなり昔の鶴の舞い。今にも舞い上がりそうな衣装です。

2019年今博多町本踊 粋で艶やか

令和元年 踊町と演し物

■今博多町

■魚の町

■玉園町

■江戸町

■籠町